arukikkuの日記

映画、ゲーム、小説、漫画、アニメ、などの感想。独断と偏見で好き勝手に書いてます。

映画『ソロモンの偽証 前篇・後編』感想

原作未読。BSで視聴したので感想を少し。

ラストまでのネタバレめっちゃあります。ご注意ください。

 

 

 

 前・後編あわせて5時間と、映画としてはかなりボリュームのある作品でした。

 監督は『八日目の蝉』『ちょっと今から仕事辞めてくる』の成島出さん。どちらもかなり好きな作品で、俳優を活かすのが上手い監督さんだなという印象があります(※そんな偉そうに語れるほど邦画監督に詳しいわけではない)。ドラマとかだとサラッと流れてる感じの演技の若手俳優さんもじっくりとっているというか、その人がどういう役、どういう表情のとき光るかを掴むのがすごく上手いというか。八日目の蝉の井上真央とかちょっと今からの福士蒼汰とか、他の作品よりずっと輝いていると感じていたので、今作はどんなかなーと思って視聴しました。原作は宮部みゆきさんの大作。未読なので、的外れな解釈があったらごめんなさい。

 

 

 前篇凄く引き込まれて良かった。そもそも設定からしてかなり重い(同級生の死、家庭内暴力、壮絶ないじめ(というか完全に傷害レベル)など)ので、この作品が自己存在への疑念や罪の意識、劣等感など当事者となった中学生の内面を抉り出したいタイプの作品なのだというのはしっかり呈示されていたと思う。少なくとも大人世代が「まぁ子供だからなー」とか上から目線で見守ることを求めている作品ではない。特にじゅりちゃん、松子への容赦ない大出たちのいじめ(というかこれは完全に暴力)描写は見る側に「見ろ!」といっているみたいで、鬼気迫るものがあった。あのシーンは単なる強者の弱者いじめではなく、この場面では形式上強者である大出が父親から抑圧されておりその捌け口として自分より力の弱いものを抑圧しているという背景や、それを受けて強い憎しみを抱き拗らせるじゅりと、それを受けてもただひたすら純粋に良い子でありつづける松子との対比及びその背景にある親の感性の格差、現場を見て助けに行けない藤野の弱さと罪悪感と人間の本性、といったさまざまな要素が練り込まれていることが後にわかる。全編通して、柏木の死の真相も気になるが、それ以上に学校内裁判を通じてこの子たちのどういう面がみれるんだろう、という興味で視聴熱が上がったように思う。

 後編も、中学生たちの「この裁判意味あるのかな、できるのかな」という不安感と、やりとげなければという責任感が混在する感じが伝わってきて、裁判本編の形式もとてもしっかりしていて見ごたえがあった。特に裁判終盤の神原が大出を責め詰めていく場面はすごく切迫した正義感がにじみでていて、引き込まれた。神原の自分の罪を裁いて欲しい、という動機も個人的には納得いくものだった。けど、ラストの締め方が…うーん、、いじめとか教師側の対応の問題の根深さにこれだけ突っ込んだのに、後日談で「あの裁判のおかげでこの学校ではいじめがないんです」と校長が言いきったり、松子の両親がさらっとしすぎだったり、急に妄想の激しかったはずの隣人謝りにきたり、シメがノリのいい洋楽でさわやかだったのはちょっと、違うんじゃないかなぁというのが率直な感想でした。それでいいのかと。ただの憶測ですが宮部さんやこの物語が描きたかったのは、いかに当事者たちの悩みや苦しみが複雑なもので、それは当事者だけでなく周囲の人間にも帰属するものだということだと思うので、それをまとめて綺麗に解決しましたって感じで終わらせるのは納得いかなかった。じゅりが神原による大出の詰問を見つめる場面の嬉しさと苦しみのない交ぜになった感じとか、最後の藤野さんとお父さんの会話で藤野さんがすごく中学生っぽかったのとか、良い場面は多かっただけに、最後やっぱ残念だったなー…。これじゃ松子報われんやろ。

 みんな何かしらの罪を負っている、というのが主題だったのだとすると、それを14歳の彼女たちが自分達で導き、大出についてはそれをある意味裁き、さらにはあの場にいた全員にその罪の意識を芽生えさせたという点で、この裁判は大きな意義をもっていたことになる。現実の大人社会よりも、よっぽど裁かれるべき本当の罪がちゃんと明らかになっているのではないかとも思った。オーディションで選ばれた中学生役の子達の切迫した演技が、さらっとみようとする視聴者側の意識を突きさしてくるような感じがあって良かっただけに、無理に綺麗にまとめてしまう必要はやっぱりなかったと思う。個人的には、柏木君のかかえる闇の片鱗に藤野が少し辿り着くような展開も見れたら良かったなと思った。