arukikkuの日記

映画、ゲーム、小説、漫画、アニメ、などの感想。独断と偏見で好き勝手に書いてます。

『しまなみ誰そ彼』感想

鎌谷悠希さんによる漫画。全4巻。

ここ数年読んだ中で一番自分の肥やしになってくれた漫画で、稀有な作品だと思うので以下感想を書きたい。

隠の王、少年ノートのネタバレが入っているので未読の方は注意願います。

 

1、鎌谷さんの作品について

 いきなり過去作の話になってしまうけど、鎌谷さんの作品を最初に読んだのは『隠(なばり)の王』だった。アニメ化もした結構な人気作。最初は線が綺麗だったのと、シュールな感じ、独特の規模の小ささみたいなものに惹かれて読んでいたのだけど、途中から少し雰囲気が変わってきて、ちょっと特別な作品だな、と思うようになった。一番それを感じたのが、主人公の壬晴と宵風が二人で逃げる最中、ヒッチハイクで農家のトラックに乗り、笑いあう場面。2人の気持ちはすれ違っているけれど(壬晴は宵風に生きてほしいが、宵風はいなくなることを望んでいる)、2人が共有している感情は同じ、ということが分かるような場面を、とてもノスタルジックに描いていて、その他の漫画として華のある設定(忍者とか高校生とか王をめぐるなんたらとか)でなく、その二人の感情の共有に作品のピークを持って行っている感じが凄く良いなと思った。その後(ネタバレだけど)宵風を失った壬晴は、そのかすかな痕跡を探す中で、宵風の存在を忘れてしまっても、彼に感謝している人、気にかけている人、そして彼を待っている人がいることをしっていく。そういう値段にならない人の価値のようなものをそっと描いていて、読み終わってからもとても心に残っていた。何よりも、漫画でそういう繊細な感情を教えてくれる作品があるということが嬉しく、当時思春期くらいだった自分にはとても貴重なことだった。

 そして次作『少年ノート』では、思春期の喪失を卓越した画力で描くとともに、彼ら彼女らの感覚を一つ一つを鮮やかに掬い取ってくれていた。個人的に印象的だったのは、歌う人になりたいと気づいた町屋にとりかえしのつかない出来事がおき、親族もなくし、どうしたらいいかわからない、どうしたらいいのか、と穣を見つめるシーン。その眼を受けて、穣は意図的に「逃げる」。自分の感情にさよならできずに「大人」になった穣の存在は、豊かな感受性をもって生きていくことの難しさと、ある種の放棄を、思春期のその先として描いていて、隠からまた一歩進んだテーマでした。

 変わっていくということの、言葉にし難いもどかしさ、喜び、せつなさを、とても的確な表情で描いていて、豊かな感情の詰まった良作だと思います。

 

2、しまなみ誰そ彼について

 そして、本作。尾道を舞台に、談話室の人々を描いていますが、本作は思春期の感情という鎌谷さんのステージを踏まえつつ、より全年齢的に、「人をわかろうとする」ということについて踏み込んだ解釈をかなり的確な形で突きまくっていたと思います。

 主要な登場人物たちは、簡単な言葉でいえばゲイだったりレズビアンだったりして、普通の生活のなかで生きづらさを抱えている。でも、彼らはべつにそれを社会とか他人に認めてどうこうしてほしいわけではなく、ただそういう項目を持っている人間として、自然に生きたい、というだけ。それを卑下や憐みや特別な扱いの対象としてみる人たちと付き合わされることが、彼らにとってどれほどのストレスか、ということを描いたシーンが作中にあって、それが凄く印象的だった。4巻という短い作品だが、読むうちに「特別な誰かがどうみられるか」ということではなく、「誰も」が色々な「項目」(性別、職種、出身、趣味、家族構成、年齢etc)を持ちながら生きてるけど、その「どれかだけ」でその人の人格を決めつけられるのは苦しいよね、ということに気づかされる。じゃあ何がその人の人格にとって大切なのかといえば、「どうありたい」とか「どうしたい」というその時々の意思の積み重ねであって、そういう意思を得る瞬間の尊重と、もし可能なら一緒に生きていけたら、すてきだよね、っていう話だったんじゃないかと。

 特に素晴らしいなと思ったのは、そういう当たり前なんだけどいざ一体一でやりあうと伝わりづらかったり複雑な話になるものを、複雑なまま、かつ素の感情の純度を保ったまま、鎌谷さんが類まれな画力で表現していること。せりふ回しやモノローグの表現も深みと哲学にあふれていて素晴らしいのだけど、何より表情でその瞬間の感情を伝えるのが巧くて、顔の作画から登場人物の諦めや決意が伝わってくる。お話が進むごとに、人が人を好きでいるときの表情、わかろうとするときの恐れと決心、誰かのために涙を流すときの悔しさなど、生の表情が沢山詰め込まれている。その表情に読み手は魅せられてしまって、抱えている項目よりも感情が尊いということを説得的に教えてもらえる。そういうことができる人を、表現者というんじゃないかと思う。

 

3、さいごに

  ツイッターなどをみるに、たぶん豊田夢太郎さんという漫画編集者の方がこの作品を世に出して認知されるための様々な努力をされたんじゃないかと思う。素晴らしい作家と、想いをもった編集者さんが一緒に作ってくれたから、自分も作品に出合えって感受性をはぐくんでもらえたわけで、とても感謝している。こういう作品が広まったら、世の中はもっと自然体でみんなが歩けるようになるんじゃないかなと強く思う。