arukikkuの日記

映画、ゲーム、小説、漫画、アニメ、などの感想。独断と偏見で好き勝手に書いてます。

ラストオブアス2感想(ネタバレあり)

クリアしてから数週間、ずっと本作を引きずっている…。凄いゲームだった。

ゲームでできる体験として、最大級のもの得たように思うので、感想を書いておきたい。

ネタバレしないと内容が何も書けないため、もしまだクリアしていなくてこの文章を読もうとしている方がいたら、ここで引き返してください。

 

 

以下、ネタバレありです。しかも長いです。

 

 

1、率直な感想

 まじか、の連続だった。前作を数年前にプレイして、「ゲームでこんなに情緒的なストーリーを描けるんだ!」と感動し、数年前からのPARTⅡのプロモーションを見まくってゲームプレイ動画も見まくって発売日は有給も取ってワクワクしながら本作を始めた身としては、まず冒頭の3時間で衝撃をうけた。いや、正直に言えば、発売前から若干予感はしていた。プロモーションでは、「ジャクソンで穏やかな生活を送っていたエリーだったが、ある事件でディーナを殺され、復讐の旅にでる。途中でジョエルが追いかけてきて、二人はちょっとぎくしゃくしながらも復讐の旅を続けていく。果たしてその結末は、、、」みたいな感じだったじゃないですか。でも前作をプレイしていれば、エリーがそんな直情的な人間じゃないことや、「復讐は何も生まない」という普遍的なことや、何よりこの世界がどんなに残酷かってことくらいわかっているはずで、ポッとでのヒロインを殺されたくらいで復讐のためにこんなに残忍になるわけない気がする。でも本作のテーマは復讐らしい。じゃ何のために復讐するんだろう。エリーがそんな残虐になってまで復讐する原因って、、、あれ、、、?一個しかなくね、、、?という、そこまでは発売前に思考が進んだんですが、まぁさすがに、前作の主人公を殺すようなことはしないだろうと思って、この予想はまさかで終わると思ってました。

 で、ふたを開けてみたらそのまさかが現実になってて、めちゃくちゃ驚いた。何に驚いたって、ジョエルが死んだこと自体に驚いたのではなく、それを本作の序盤でやり切ったスタッフに驚愕した。だってジョエルだよ?みんなジョエルに愛着があって、ジョエルに前作でめちゃめちゃ感情移入してたから、最後のあの展開を受け入れて、ラスアスは名作だ、という感想になっていたわけですよ。それをどこの馬の骨とも知らないマッチョ女に撲殺させるというね、これをやるノーティドッグ凄いな、というのが率直な感想でした。それと同時に、本作、本気だなというのを冒頭3時間で痛いほど感じました。このシリーズを全て懸けて、1作目で得た評価とかもすべて懸けて、ノーティドッグはこのPARTⅡの物語を全力で描いてくる。そういう凄みのようなものを感じました。

 ラスアスの一番の魅力は、個人的には「没入感」だと思います。証明・音響・グラ・舞台設定・キャラの表情・セリフ・ロードを極端に排除した演出など、あらゆる要素が、プレイヤーをプレイキャラクターに一体化させる要素として作用していて、気づいたらプレイキャラクターと同じ人格のように話にのめりこんでいる、というのが本シリーズの最も突出した特徴だと思います。PARTⅡでは、その特徴を最大限に生かし、前半のエリー編で、ジョエルを殺されたという恨みをプレイヤー自身が強く抱きながら復讐のためにWLFやセラファイトを殺し、アビーたちを探していくこととなる。けれど、ジョエルのことを思い出すたびに、それについてくる負の記憶、すなわちジョエルがエリーを救ったことによる結果にまつわる記憶と、エリーがそれを知って得たジョエルに対する憎しみ、もセットで思い起こされる。アビーたちへの憎しみが深まり復讐がエスカレートするほど、ジョエルが殺された必然と、自分だってジョエルを否定したという事実に向き合わざるをえなくなる。この矛盾した状況がどんどんエリーの精神を分裂させていき、ディーナやジェシーといった本作の良心を司る存在たち(=エリーの中の良心をつなぎとめる存在)との距離感もおかしくなってくる。そして、その良心をなんとかつなぎとめていたもの(ディーナへの労り、妊娠しているディーナを一番に考えなくては、という想い)が、復讐相手であるメル=妊婦の殺害で一挙に破綻する。この流れは本当に、見事だと思った。妊娠相手(ジェシー/オーウェン)がそばにいる状況まで完全に一緒という徹底ぶり。プレー中はそんなに整理して展開を整えることもできなくて、とにかくディーナの妊娠に驚いたりちょっとジェシーに嫉妬したりアビー憎んだりで感情がせわしないんだけど、水族館でメルのおなかを見たときは、自分もエリーと同じく混乱して、越えてはいけない一線を意図せず越えてしまった恐怖におののいた。こんな感情をここまで切迫して得る経験は、実生活ではまずない(今後もないと思いたい)。現代でもっともこの状況に置かれた人間の感情を体験できるのが本作なのではないかと思うくらい、凄いものをノーティドッグは作ったな、と実感したし、とにかくこの「経験」が苦しかった。

 そのままどうなるのかと思いきや、まさかのアビー少女時代に場面転換。これまで「ジョエルの仇」として憎んできた分、アビーが普通の女の子だというのがわかるだけでもちょっと辛かったが、何より辛かったのは、そのお父さんがかなり聡明な人物だと知ったこと。シマウマを助けて、仕事もちょっとサボったりして、娘を愛していて、人類を救う努力をしていて、かつその方法を導いた凄い人だった。これがわかるたびに凄くつ辛かった。だってこの人、前作のラストでプレイヤーとして自分がモブのような扱いで殺した相手だったから…。前作のジョエルの行動は、世界を救う道を閉ざしたこと、多くの人類にとって希望になっていたファイアフライのボスやメンバーを殺したこと、だと認識していたけど、それがこのシーンでより詳細化されて突き付けられる。ジョエルの行為によって、アビーの父親たちの努力も覚悟も全て水の泡になったし、ファイアフライは希望としての価値を失って崩壊し、その結果世界はヤバい勢力が争う状況になって、多くの人がこれらの勢力の恐怖に怯える日常になって、アビー個人は、復讐に生きるようになった。この流れが自然すぎて、そらジョエル殺されるわ…と思わざるを得なかった。もちろんアビーの撲殺を肯定するわけではないけど、物事の流れとして、ごく自然なことだったんだ、と。自分はジョエル側の見方で見ていたから、理不尽で憎むべき撲殺だと思っていただけだったんだと。

 ここからは凄く難しくて、プレイヤーとしての自分は、アビーの復讐もエリーの復讐も自然な流れだけどそれを果たしても精神は晴れないしまた復讐という自然な流れを新たに生んでしまうし、だからもうそれによって心身をすり減らすのは辞めたほうがいい、端的に言えば、エリーは復讐をやめてもうジャクソンに戻ったほうが良い、という気持ちになったのだけど、エリーはそうはならなかった。その理由が、「アビーを憎んでいるから」というよりも、もっとずっと複雑で、PTSDにより精神状態が悪く通常の生活に戻り切れないという現実的な問題と、ジョエルの記憶が「殺されたジョエル」であり続けてしまって、「エリーが好きだったジョエル」にならなかったということにあるのが、本作が非常に突っ込んだポイントだったと思う。

 普通に復讐を描くなら、アビー編のラスト、「二度と私たちの前に顔を見せないで」で終わっていい。あそこでエリーが懲りたなら、それはそれでプレイヤーとしてはある程度納得のエンドだと思う。けれど本作がそうしなかったのは、復讐に取りつかれることの心身の影響の色濃さを描くことで、単なる「復讐は何も生まない」という結論を超えたかったというのがあると思うけど、もう一つ重要な点として、ジョエルとエリーの物語として、そこがLASTではない、と考えたからなんだと思う。

 本作のテーマは「復讐」らしいけど、これはおそらくエリーのアビーに対する復讐よりも、エリーのジョエルに対する復讐のことをより強く意味していると思う。エリーがジョエルの最後の行動にいかに絶望していたかは、本作の回想シーンでわかる。おそらく、育ての親であるマーリーンを殺したことについても、何となく悟っていたのではないか。その上で、エリーのジョエルに対する復讐は、実は本作スタート時点の前に一旦終結の兆しをみせていて、その落ち着きどころが、「一生許せないけど、許したいと思っている」というセリフそのものだった。でもタイミング悪くアビーがジョエルを殺し、ジョエルへの復讐の終結=赦しはそこで一旦断絶し、アビーへの復讐として新たに別道にそれながら進んでしまった。これを、レヴへのアビーの態度や、アビーが受けた仕打ち、自分自身が復讐のために犠牲にしたもの、そして最後の浜辺の戦いで、「エリーが好きだったジョエル」が浮かぶようになったことで、赦しの結末を自分で選択することができ、断絶していたエリーのジョエルに対する復讐自体も、憎しみの感情はフェードアウトして、赦しという結末を迎えられた、ということだと思う。最後のシーンは、ジョエルへの赦し、というより、むしろ喪失感とちゃんと向き合い始めた(赦すはずだった対象を失ってしまって、ジョエルをただ想っている状態)だったのかもしれない。おそらく、これがエリーとジョエルについての、真のTHE LAST OF USです、ということなんじゃないかと。

 私は本作はもの凄い傑作だと思う。人間関係を描く物語として、これ以上ないくらい、2人の人間の関係性を突き詰めている。そんじょそこらの作品でこれをやられても、おそらくここまでの密度にはならない。本作は、1作目の高い評価に起因するノーティドッグ社の作品作りへの信頼と、1作目のストーリーやキャラクターに対するファンの愛情と、プレイキャラクターを転換し長時間その状況に没入させるゲームという媒体の特殊性と、クオリティ追及のための十分な時間や労力と、リスクをとれるスタッフ陣がなければ成り立たない。その要件がそろった中で、この作品を作るという選択をしたノーティドッグやSIEはめちゃめちゃ凄いと思うし、そのゲームをリアルタイムでプレイできたことに、本当に感謝しかない。

 

2、その他思ったことをつらつらと。

・暴力について

 本作、前作以上に人間相手の戦闘というか暴力が多くて、その表現の生々しさが際立っていた。その中でも、アビーとエリーの暴力は結構似ていて、同じようにサイレントキルのための首切りや窒息、速攻の目つぶし、感づかれる前に殺すためのヘッドショット、見方を盾に取った脅し、などをしている。暴力ってそれを楽しもうとする側面がなければ、だいたい極めると同じところ(最も効率的な方法)にたどり着くのかなというのは本作でちょっと感じた。あと、残虐性も二人とも似たり寄ったりで、そういう描写によっても、二人の何が善悪なのかがわからなくなってくる仕組みが秀逸だったと思う。

・ゲーム性

 戦闘は単純に、不謹慎だけど面白さが大分前作より増していると思った。やはり大きいのは、ほふく前進や、ほふくしながらの攻撃ができるようになったことだと思う。あとサイレントの攻撃手段が増えたこと。特に強化した4倍スコープとかはかなり面白い要素だと思う。犬もやっかいだし、適度に嫌な部分を盛り込む技術が秀逸だった。

・良心

 これは裏テーマなんじゃないかな、と思うくらい、本作は良心の観点から見てもストーリーに説明がつくと思う。相手の良心が見えてしまうと、憎しみが減る、又は憎しみを行動に移すのに躊躇が生じる、というのは、普遍的なのではないかと思う。エリーもアビーも、少女時代を見ているプレイヤーには、根が良い人たちなんだということがわかるようになっている。だから少なくとも自分は行為が残虐でも二人を嫌いになれなかったし、もっとこの二人にとってあるべき関係があるんじゃないか、と思わずにいられなかった。それにしても良心の塊だったジェシーの死はショックだったな…。アビーにとっては、吐くほどのショック(オーウェンとメルの死)をうけて乗り込んだわけだから、ジェシー殺すのもわかりはするんだけど、しかしジェシー、不憫で…。良心といえば、前作では街までつくって良心の塊っぽかったトミーが、本作を終えてもなお唯一復讐に取りつかれていそうなあたり、皮肉な話だと思った。

・3本の指と蛾

 正しい解釈はわからないけど、3本の指=ギターを弾けなくなった=ジョエルとの別れ、ということなのかなと思った。蛾は明らかにファイアフライ(蛍)との対比だと思うけど、じゃあ本作では何が光で何が蛾か、というのは一概にわからなかった。同じ虫でも蛍は綺麗で、蛾は醜い、というのも、面白いモチーフだなと。飛び方が定まらないところを見ると、復讐相手(精神の拠り所)が光で、それを求めてフラフラになりながら飛び続ける蛾が復讐者かなぁ。

 

3、今後

 本作には賛否両論あるとはいえ、こんな凄いゲーム他に知らないので、できれば続編を見てみたい気もしつつ、エリーにはもう、しばらくゆっくり休んでほしい気もする。今回のことを超えて、エリーはより聡明で優れた大人になると思うし、JJ(ジョエルとジェシーってことだよね?)の今後も気になる。もしPARTⅢがでるならやりたいし、出ないなら、本作は凄い体験として生涯自分の中にしまっておきたい。

 

以上、読んでいただきありがとうございました。