arukikkuの日記

映画、ゲーム、小説、漫画、アニメ、などの感想。独断と偏見で好き勝手に書いてます。

ミヒャエルハネケ『Happy End』感想~よくわからないが危機感が凄まじい~

※ラストシーンまでのネタバレを含みます。

 

 

 

角川シネマでみてきました。自分が見た回は平日夕方にも関わらず結構席は埋まっていて、映画ファン的にはやはり待たれていた作品なんだなぁと思いつつ視聴。前作『amour』をみたときは、ハネケ監督の事実を映画として写し取る手腕の正確さとその事実の重みに涙がでたのですが、本作はそれとはかなり違う感覚を味わいました。以下ネタバレしかないので見てない方は読まない方が良いかも。

 

 

自分の脳みそ不足かもしれないのですが、見終わって、おもわず横の席の人に「今のシーン、わかりました?汗」と聞きたくなるくらいラストまで??・・・??というシーンが多く、見終わって暫くはこの映画はなんだったのだろう、と困惑していました。というのも、普通に物語の流れを負う上で最低限必要になるような描写が結構ざっくりカットされている構成なんですよねこの映画。さっきまで普通に家の中だったのに次のシーンでいきなり病院でベッドの上に孫娘が寝てる、みたいな感じで。でもそれまでのシーンや話の流れをみていれば、「あ、もしかして自殺未遂したのかな」と察しが付く。でもその描写は一切なしで、会話の端で事実を推測できる、というような場面がかなり多い。なので見ていてその都度「これはどういう意味のシーンだ?」と頭を回転させないといけない。見る側に集中と解釈を否応なく求めてくる映画だと思いました。

 孫娘、叔母、父、祖父と大まかに4人の話が展開していて、SNS等では本性を出しているんだけど家族の会話では全くお互いの心の内を共有できていない、いっしょに住んでいるのに互いのことがわからない、そういう印象を強く受けるので、これはSNSにより崩壊している家族の話という解説がよく見られました。実際そういう側面があると思う。けど、個人的には現代人の想像力の欠如が今作のテーマで、SNSはあくまでその一要因なのかなと感じました。実際イザベルユペールが扮する叔母はそんなにSNSばかりではない。けどビジネス人としての自分を母としての自分より重視している節があり、だから精神的に苦しんでいる息子と一対一での対話ができておらず、どこか息子を「マトモ」にせねばという枠で対応していて、息子自身の枠に入ってみようという発想はない。父親もツールこそチャットだけど、チャットのせいでそうなったというよりは、もともとの不満点や欲の捌け口としてたまたまチャットがそこを埋めてくれたという感じがする。共通するのは各人の自己中心主義的な過ごし方とそれを促進し手助けするSNSやケータイ・PCといったツールの存在。そして彼らからボケたと内心切り捨てられている祖父。祖父だけはおそらく、自分の都合ではなく、妻のことと、家族のことを最も見て考えているのだと思います(でないと来て間もない孫娘の罪には気づかない。息子の愛人の演奏自体について唯一感動してそれを伝えに行ったのもこの人だったし)。

 本作は噛み合ってない会話が多いなか、唯一後半の祖父と孫娘の会話のみ、互いの真実を突き詰めていると思います。祖父は妻を殺害したという事実を孫に伝え(これが前作まるまる見た後だと圧倒的に重い事実だし、そのことを寸分も後悔していないという祖父の言葉は前作への一つの明確なアンサーとなっている)、孫娘に「何をしたんだ?」と問う。孫娘は母を毒殺していますが、友達に薬をもった、と目を潤ませながら答えるのみで、真実を明かさない。これは非常に子供っぽい逃げで、このシーンの解釈次第で作品テーマが見えうるのかなと思います。

 祖父は妻の長い介護の末、おそらく彼女を最大級に想い、悩んだ末のもっとも切迫した現実的手段として殺人を選んでいた。それに比べて孫娘は母が「クソウザイ」から殺したし、その事実の意味をおそらくよくわかっていない。同じ殺人でも二人がその事実について費やしている覚悟の量は全く異なり、孫娘は母の殺人と向き合ってなんていないから、そこを糾弾されて子供っぽく別のことでごまかしている、という場面なんだと思いました。けど、しばらく考えるうちに、祖父の「何をした?」=「お前の罪は何だ?」なのだとすると、孫娘にとっては母を殺したことは罪だと思っていなくて、むしろ友達に薬をもったことのほうが悪いことだったから(実際にそれをしたのだとしたらだけど)、そっちを答えたのかなとも思いました。つまり母殺しは彼女にとってはそのくらい主観的に軽いものだったんじゃないかと。友達への情以下の情しか持ってなかったから罪の意識も芽生えないのではないかと。いずれにせよ孫娘の情の軽さを非常にリアルなものとして描いていて、その一因をおそらくスマホによる面と向かった中身のあるコミュニケーションの欠落だとしているのですが、孫娘にとっての罪の意識が後者の解釈通りだとすると、その欠落っぷりがどれだけヤバい次元に来ているかもさらに強まるように感じました。もはやここまで最も近い他人である家族のことを想わないなんて新人類ですよ、的な。実際、序盤の車のシーンも自殺未遂後のシーンも、彼女は自分の危機や辛い状況については涙を流すんですよねー…。究極には自己中心的なこと、その自己中さを顧みないこと、が見る側にも突きつけられているというか。殺人は重罪ですが、前作を見ているとそうやって行為だけで一括りにする怖さも考えざるを得ないので、このシーンについては意味を何度も考えてしまいます。

 にしても孫娘がめっちゃ可愛い子で瞳が純粋なので、絵的にはもの凄く目が離せなくて、簡単に「現代っ子」と片付けられない。人間の本質自体社会の変化で変わってきているのではと思わざるを得ないような感覚がしました。さいご祖父は自ら入水しますが、これも今の人間に見切りをつけての行動なのかな、と思ったり。彼にとっては贖罪でもあるかもしれませんが、彼の年齢が監督のハネケの年齢と一番近いことも考えると、ハネケ監督はもう今の社会に結構呆れまくっていて、こんな世界もう見捨てたいのかもしれないとも思いました。また新作がみたいです。